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K-1全盛期(黄金期)に活躍したヘビー級選手まとめ!現在は何してる?

K-1全盛期(黄金期)に活躍したヘビー級選手まとめ!現在は何してる?

1993年に設立された『K-1』は、2010年頃までヘビー級戦線が非常に盛り上がっていました。

ピーター・アーツ選手、アーネスト・ホースト選手、ジェロム・レバンナ選手など、挙げたらきりがないほどに数多くのスター選手がいて、毎試合非常に盛り上がっていましたよね。

今回は、そんな『K-1』全盛期に活躍したヘビー級の選手を紹介していきます。

また、当時活躍していた選手たちは現在、何をしているのか?

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K-1全盛期(黄金期)に活躍したヘビー級選手まとめ!現在は何してる?

ここでは、 1993年から2010年頃まで、『K-1』で活躍したヘビー級選手について紹介します。

ブランコ・シカティック

  ブランコ・シカティック選手は、 1993年に『K-1 GRAND PRIX ’93』優勝して、『初代K-1王者』に輝きました。

当時、すでに38歳でしたが、決勝戦では若きアーネスト・ホースト選手相手にKO勝利を果たしており、歳を重ねても驚異的なKO率で活躍しました。

そんな、 ブランコ・シカティック選手は現在、 故郷であるクロアチアで警備会社『タイガー・シカティック』の代表取締役に就任しています。

ただ、 2018年に肺塞栓症と敗血症で入院して、状態が悪くリハビリができない状態になってしまったそうです。

また、 ブランコ・シカティック選手は、 同じクロアチア出身であるミルコ・クロコップ選手やアントニオ・プラチバット選手の師匠でもあります。

  そんな、 ブランコ・シカティック選手は2020年3月22日に亡くなりました。。

2018年年から、肺塞栓症および敗血症のために入院していましたが、その後、パーキンソン病を発症していたそうで、最期はクロアチアの自宅で家族に看取られたそうです。

ピーター・アーツ

  ピーター・アーツ選手は、『K-1 GRAND PRIX』『 ’94、’95、’98』3度優勝しており、94年、95年には史上初のグランプリ連覇を果たしました。

また、

  • 決勝トーナメント17度出場(最多出場)
  • 決勝トーナメント16年連続出場(最多連続出場)
  • 決勝トーナメントファイナル最多出場(6度)

といった成績を残しており、まさにK-1のレジェント的存在です。

アンディ・フグ選手、アーネスト・ホースト選手、マイク・ベルナルド選手と一緒に、『K-1四天王』と称されて格闘技回を盛り上げ続けました。

そんな、 ピーター・アーツ選手は引退後、 2018年からオランダ・オーファーアイセル州エンスヘーデ市に格闘技ジム『FitnessGymOkinawa』をオープンしています。

現在は、 将来のスターを育成する道に進んでいます。

アーネスト・ホースト

  アーネスト・ホースト選手は、『K-1 GRAND PRIX』で ’97、’99で優勝しており、『K-1 WORLD GP』で2000、2002で優勝して4度世界チャンピオンに輝いています。

4度の優勝は最多優勝記録であり、ファイナル進出はピーター・アーツ選手に次ぐ5度となっています。

アーネスト・ホースト選手も、『K-1四天王』と称されており、『ミスターパーフェクト』と呼ばれるほどに素晴らしいテクニックを持つ選手です。

そんな、 アーネスト・ホースト選手は現在、 自らのジムを運営し指導者として活躍されています。

アンディ・フグ

  アンディ・フグ選手は、『K-1 GRAND PRIX ’96』優勝しており、『K-1四天王』と称されて日本でも絶大な人気を集めていました。

極真空手出身であることから、多彩な足技は素晴らしく試合中に繰り出すかかと落としは芸術的でした。

1993年から、『K-1』の舞台で活躍されていましたが、2000年に35歳という若さで亡くなっています。

マイク・ベルナルド

マイク・ベルナルド選手は、圧倒的なパンチ力で壮絶なKO勝利を飾る剛腕選手でした。

ただ、『無冠の帝王』とも呼ばれ、常に優勝候補に名乗りを上げますが、結果的に優勝することはできませんでした。

また、2000年からは、剛腕を生かしてプロボクシングに転向しますが、親友であるアンディ・フグ選手が命を落としたことからK-1に復帰しました。

非常に人柄がよく、日本のメディアやイベントに登場することもあり、『プロテクター』のCMに出演した際には「切れてなーい」のというフレーズが人気を集めました。

現役引退後は、 指導者としても活動されていましたが、2012年に故郷である南アフリカで命を落としています。

フランシスコ・フィリオ

  フランシスコ・フィリオ選手は、極真空手出身の選手で『一撃』『極真の怪物』と称されていました。

  『K-1 WORLD GP』での優勝経験はありませんが、

  • アンディ・フグ選手
  • ピーター・アーツ選手
  • アーネスト・ホースト選手
  • レミー・ボンヤスキー選手
  • サム・グレコ選手

など世界トップレベルの選手に勝利しています。

2004年に、レミー・ボンヤスキー選手との試合に勝利して現役を引退しており、引退後は指導者として活躍されています。

2006年5月に、母国であるブラジルに『フランシスコ・フィリォ 一撃アカデミー』を設立しており、後にK-1で活躍する『グラウベ・フェイトーザ選手』『アレキサンダー・ピチュクノフ選手』『エヴェルトン・テイシェイラ選手』など素晴らしい選手を育成しています。

サム・グレコ

サム・グレコ選手は、『拳獣』のいもうを持ち、とにかく打撃に定評のある選手でした。

また、『空手』『キックボクシング』『総合格闘技』『プロレス』など様々なジャンルで活躍していた選手で、アグレッシブなファイトスタイルから『やるかやられるか』といった戦い方で会場を盛り上げてくれましたね。

2005年に現役を引退しており、引退後は母国であるオーストラリアに戻って、指導者として活躍されているようです。

過去には、 ボブサップのパーソナルトレーナーとしても活躍されていたそうですね。

ジェロム・レバンナ

ジェロム・レバンナ選手は、『K-1 WORLD GP』での優勝経験がないことから、『無冠の帝王』と呼ばれている選手です。

毎年のように優勝候補として注目を集めますが、結局、1度も優勝することはできませんでした。

ただ、10度の決勝トーナメント進出の中で、2005年以外の9度は優勝者に敗戦していることから、実力は間違いなく実力ある選手です。

『ハイパー・バトルサイボーグ』の異名を持つだけあって、パンチ力はヘビー級トップレベルでした。

フランシスコ・フィリオ選手を左ストレートで吹っ飛ばして勝利した試合は、『千年に一度のKO劇』と称されましたね。

そんな、ジェロムレバンナ選手は今でも現役の格闘家として活動しています。

2023年8月26日(土)に、東京・アリーナ立川立飛で開催された『喧嘩道 presents BreakingDown 9』に出場したり、2024年には、10月5日にエディオンアリーナ大阪で開催された「K−1 WORLD GP 2024 IN OSAKA」にて14年ぶりのK-1参戦も果たしています。

また、現役を続けながら、フランスで総合格闘技団体『The King Of Fighters(略称KOF(コフ))』を設立し、プロモーターとして活動するなど、幅広く活躍されています。

ミルコ・クロコップ

ミルコ・クロコップ選手は、クロアチア出身の選手で元警察官という経歴の持ち主。

『K-1 WORLD GP』で活躍した後、 2001年頃から総合格闘家にも参戦しており、『総合格闘技に適応した最初の本格ストライカー』と評され、 対日本人相手では連勝を飾っています。

PRIDE時代には、 エメリヤーエンコ・ヒョードル選手、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ選手と共に、『PRIDEヘビー級三強』と呼ばれました。

左ハイキックが最大の武器で、 キックボクシング時代も総合格闘家時代にも、左ハイキックで数々の強敵を倒しましたね。

キックボクシングでも、 総合格闘技でも世界トップレベルの選手でした。

2018年まで、『RIZIN』の舞台で戦っていましたが、2019年3月2日に脳卒中が原因で現役を引退しています。

レイ・セフォー

レイ・セフォー選手は、ニュージーランド出身のキックボクシング選手で、『南海の黒豹』の異名を持つ選手です。

元ボクサーということもあり、パンチ力は世界トップレベルで、強烈なブーメランフックを得意としていましたね。

また、ノーガードのパフォーマンスで会場を盛り上げ、マーク・ハント選手とのノーガードでの打ち合いは伝説となっています。

強さもトップレベルですが、会場を盛り上げることにも力を入れていた選手でしたので、非常に人気の高い選手でしたね。

そんな、 レイ・セフォー選手は現在、 2012年11月3日に立ち上げた総合格闘技団体『WSOF』の代表取締役社長として活躍されています。

自ら総合格闘技団体を設立し、格闘技界を盛り上げていますね。

マーク・ハント

マーク・ハント選手は、2001年に『K-1 WORLD GP』を優勝しています。

非常に打たれ強い選手で、2001年に『K-1 WORLD GP』を優勝するまではダウンしたこともなかった選手ですね。

パンチ力も世界トップレベルで、レイセフォー選手やジェロムレバンナ選手との試合は伝説的な試合となっています。

マーク・ハント選手の試合にハズレはなく、全ての試合が面白かったですね。

また、2004年頃から総合格闘技にも参戦しており、2010年から『UFC』に参戦して人気選手として活躍されています。

必ず打ち合いを演じる選手であることから、ヘビー級の選手の中でも世界でトップレベルに人気のある選手ですね。

アレクセイ・イグナショフ

アレクセイ・イグナショフ選手は、膝蹴りが得意の選手で『レッド・スコーピオン(赤いサソリ)』の異名を持つ選手です。

マイク・ベルナルド選手やバダ・ハリ選手に勝利した経験があり、世界王者に輝いているレミー・ボンヤスキー選手やセーム・シュルト選手相手にも勝利した経験があります。

強豪選手と互角の戦いを披露しており、また、つかみどころのない物静かな性格も魅力の一つでしたね。

ジェロム・レバンナ選手は、アレクセイ・イグナショフ選手について『イグナショフはリングに上がるとき、まるで風呂にでも入るような顔をしていやがる。俺にあんなことできない。アイツは凄い奴だよ』とコメントしています。

常に冷静で物静かなファイターですが、試合になれば気の強さを発揮することもあり、格闘家にはあまりいないタイプの選手だったことから人気を集めましたね。

そんな、アレクセイ・イグナショフ選手は現在も現役選手として活躍されています。

2018年4月には、アメリカの総合格闘技団体『Bellator』にキックボクシングルールで出場していました。

40歳を超えていますが、まだまだ魅力的なファイターとして活躍されていますね。

ステファン・”ブリッツ”・レコ

  ステファン・”ブリッツ”・レコ選手は、『欧州の稲妻』の異名を持ち鋭い右ストレートが持ち味の選手です。

また、甘いルックスで非常にイケメンであることから、『K-1のトム・クルーズ』とも言われていましたね。

『素早い打撃』『高い打撃』『軽快なフットワーク』を武器に、『スピードスター』とも評され多彩な攻撃から試合を組み立てる選手で、過去には、

  • レイ・セフォー
  • マイク・ベルナルド
  • マイティ・モー
  • バダハリ
  • レミー・ボンヤスキー
  • ピーター・アーツ
  • アレクセイ・イグナショフ
  • フランシスコ・フィリオ

といった強豪選手に勝利しています。

K-1参戦から常に、次世代を担う選手として期待され、数々の強豪選手に勝利しているものの、『K-1 WORLD GP』で優勝することはできませんでした。

ただ、倒した相手を見ると、素晴らしいファイターであることは言うまでもないでしょう。

そんな、ステファン・”ブリッツ”・レコ選手の現在は、現在も現役選手として活躍されているようです。

総合格闘技にも挑戦しており、幅広いジャンルで戦っていますね。

また、ステファン・”ブリッツ”・レコ選手は非常にイケメンな選手ですし、人気もありますから、引退後も仕事に困ることはないのではないでしょうか。

レミー・ボンヤスキー

レミー・ボンヤスキー選手は、『K-1 WORLD GP』を2003年、2004年、2008年と3度の優勝を経験している選手です。

『ザ・フライ・ハイ』の異名を持ち、『飛び膝蹴り(フライング・ニー)』『ハイキック(フライング・ハイ)』が得意な選手でしたね。

また、 蹴り技に加えて、 『防御力の非常に高い選手』でもありました。

元銀行員という異色の経歴の持ち主で、『頭の良い技巧派ファイター』でしたね。

しかし一方で、判定での勝利が多いことや、相手が負傷して負けることが多いことから、レミー・ボンヤスキー選手の評価がそこまで高くないことがかわいそうな部分です。

間違いなく世界トップレベルの選手なのですが、3度の優勝に伴った評価を受けていない印象ですね。

そんな、レミー・ボンヤスキー選手は、2017年に現役復帰を果たしてメルヴィン・マヌーフ選手と対戦しています。

結果は、判定で負けてしまいましたが、今でも現役選手として試合をすることがあるようですね。

ただ、それ以降は試合をしていませんので、すでに引退しているかもしれません。

しかし、レミー・ボンヤスキー選手は、非常に頭の良い選手ですから、引退後に仕事に困ることはないでしょう。

オランダでは、下着ファッションブランド『Sapph』のモデルに抜擢されたこともあるそうですから、国内では人気が高いですね。

マイティ・モー

マイティ・モー選手は、サモア出身の選手で『怒濤のサモアン・フック』の異名を持つ選手です。

その名の通り、パンチに定評のある選手でサモアン・フックをまともに受ければ、立っていることはできないでしょう。

レミー・ボンヤスキー選手やフランソワ・ボタ選手相手に勝利しており、韓国の英雄であるチェ・ホンマンをサモアンフックで倒した試合は伝説となっていますね。

そんな、マイティ・モー選手は、現在も現役の格闘家として活躍されています。

総合格闘家として活躍されており、『Bellator』『ROAD FC』で戦っていますね。

ガオグライ・ゲーンノラシン

ガオグライ・ゲーンノラシン選手は、身長180cmと小柄ながらヘビー級で戦うファイターで、『圧倒的なスピード』『フットワーク』から『マトリックス』の異名を持つ選手です。

中量級の体格ながら、『減量で苦しむくらいならヘビー級で戦った方が良い』と語っており、アレクセイ・イグナショフ選手やマイティ・モー選手に勝利したことで一躍脚光を浴びましたね。

特に、 マイティ・モー選手相手に、 サモアンフックに合わせた右のハイキックでKO勝利を飾った試合は伝説になっています。

そんな、 ガオグライ・ゲーンノラシン選手の現在は、、 日本以外の国で現役を続けているようですね。

ゲーリー・グッドリッジ

ゲーリー・グッドリッジ選手は、『剛力王』の異名を持つ選手で、その名の通りパンチ力に定評のある選手です。

もともと、『UFC』で活躍していた総合格闘家でしたが、1999年から『K-1』にも参戦しています。

強豪であるマイク・ベルナルド選手に勝利したこともあり、『K-1』での活躍を期待されていた選手ですね。

ただ、キックボクシングルールよりも、総合格闘家としての実績の方が素晴らしく、『PRIDE』の舞台で活躍し『PRIDEの番人』と称されています。

そんな、ゲーリー・グッドリッジ選手は現在、2008年12月15日からカナダ・トロント郊外にジム『Fighting University』を設立しており、指導者として活躍されています。

また、パンチドランカーであるといった噂があり、2012年には『認知症』であると診断されたこともあるそうですね。

バダ・ハリ

バダ・ハリ選手は、『初代K-1王者』に輝いた選手で、パンチ、キック全てにおいてレベルが高いバランスのとれた選手です。

ただ、『悪魔王子』という異名通り、私生活での不祥事が多く素行の悪さが有名でした。

レミー・ボンヤスキー選手との試合では、反則行為から負けてしまったこともありますね。

しかし、 その圧倒的な力強さとスター性から、最も人気のあるファイターであったことは間違いありません。

そんな、 バダ・ハリ選手は、 現在も現役の格闘家として活躍されています。

ルスラン・カラエフ

ルスラン・カラエフ選手は、『ロシアの速射砲』の異名を持つ選手で、『圧倒的なスピード』『高速な連打』が特徴的な選手です。

休むことなく、アグレッシブに圧倒的なスピードの連打を浴びせ、バダ・ハリ選手やステファン”ブリッツ”レコ選手などの強豪選手に勝利しています。

しかし、打たれ弱い部分もあってか、『K-1 WORLD GP』では勝ち切れず優勝はできませんでした。

そんな、ルスラン・カラエフ選手は、2010年以降、表舞台から消えています。

2010年に、『左膝靭帯損傷』の怪我もあり、怪我に苦しんだことから現役を引退したのか、それとも精神的に続けられなくなったのか、詳しいことはわかりません。

アリスター・オーフレイム

アリスター・オーフレイム選手は、 基本的には総合格闘家で『PRIDE』で活躍していた選手です。

その圧倒的なフィジカつの強さから『K-1』にも参戦しており、2010年に開催された『K-1 WORLD GP』で優勝していますね。

そんな、アリスター・オーフレイム選手は、2010年に『K-1 WORLD GP』で優勝して以降、2011年からはアメリカの総合格闘技団体『UFC』で活躍されています。

ボブサップ

ボブ・サップ選手は、『ザ・ビースト』の異名を持ち、2002年から『K-1』に参戦。

圧倒的なフィジカルと突進力で、『K-1』をかき回した選手ですね。

タレント性も高く、非常人気のある選手であり、アーネスト・ホースト選手に2度も勝利した実績があります。

また、2003年12月31日の大晦日に行われた『K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!』では、曙選手と対戦し瞬間最高視聴率最高『43.0%』を記録し、『NHK紅白歌合戦』の視聴率を超える快挙を成し遂げましたね。

そんな、ボブ・サップ選手は、現在も格闘家として活躍しています。

2018年12月31日の大晦日には、『RIZIN』の舞台で大砂嵐選手と対戦したことも話題となりました。

しかし、基本的には自身のタレント業がメインとなっており、日本のメディアに登場することも多いですね。

チェ・ホンマン

チェ・ホンマン選手は、身長2m18cmの高身長で、『韓流大巨人』の異名を持つ選手です。

2005年から『K-1』に参戦しており、ボブ・サップ選手やマイティ・モー選手に勝利したことがあり、さらに、世界王者であるセーム・シュルト選手に勝利した経験もあります。

総合格闘家としても活躍しており、2015年からは『ROAD FC』にも参戦していましたね。

そんな、 チェ・ホンマン選手は、日本や韓国で芸能活動を続けています。

格闘家として活躍する傍ら、日本のメディアに登場することも多く、2010年には日本テレビ系で放送されたドラマ『怪物くん』フランケン役で出演しています。

セーム・シュルト

セーム・シュルト選手は、 『K-1 WORLD GP王者』を2005年、2006年、2007年、2009年で優勝している『K-1』の絶対王者です。

身長2m12cmと恵まれた体格に加え、 真面目な性格であることからトレーニングもしっかりと行う選手であることから、弱点の少ない選手です。

派手さはなかったものの、強さで言えば間違いなくK-1トップレベルと言えるでしょう。

そんな、セーム・シュルト選手は、総合格闘家としても活躍していましたが、2013年6月に『心臓病』が原因で現役を引退しています。

現役引退後は、 指導者として活躍されているようですね。

武蔵

武蔵選手は、『日本最強の男』と呼ばれ、K-1ヘビー級戦線で最も世界の舞台で活躍した選手です。

世界最高峰のディフェンス力を武器に、 K-1ヘビー級戦線で強豪選手と戦い続け、

  • 『K-1 JAPAN GP』2001年 準優勝
  • 『K-1 JAPAN GP』1999年、2000年、2002年、2003年 優勝
  • 『K-1 WORLD GP』2003年、2004年 準優勝

といった数多くのタイトルを獲得しています。

『K-1 WORLD GP』で2度の準優勝に輝いたことから、日本人でも世界の舞台で戦えることを証明しましたね。

そんな、武蔵選手は2009年に現役を引退しており、現在は弟と共に株式会社『パウンドフォーパウンド』を設立し、タレント業を続けながら実業家として活躍されています。

まとめ

  今回は、 『K-1』全盛期を支えたヘビー級の選手について紹介してきました。

1993年から2010年頃までの『K-1』は、素晴らしい選手が揃っていて非常に面白かったです。

ただ、 現在の『新生K-1』も以前の『K-1』に負けないくらい盛り上がっていますから、これからの『K=1』にも期待したいですね。

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